2026/01/26
中堅・中小企業に求められる人権デュー・デリジェンス
◇ LNOBサステナ経営コラム集 #4
「人権デュー・デリジェンス」。
この言葉が今、中堅・中小企業の経営において、重要なキーワードとして急速に注目を集めています。
本稿では、なぜこの一見すると難解な概念が中堅・中小企業にも求められているのか、そしてリソースが限られている中で、どこから着手すべきなのかについて、背景と実務的なポイントを整理します。
人権デュー・デリジェンスは、かつて欧米のグローバル企業や一部の上場企業に限られた課題だと捉えられがちでした。
しかし、現在ではその状況は大きく変化しています。
従来のコスト削減を主眼としたサプライチェーン・マネジメントに加え、コンプライアンス・リスクを未然に防ぐ観点から、調達網全体で人権を尊重する動きが加速しています。
先進的な企業では、すでに調達ガイドラインへの人権要件の明記や、定期的なサプライチェーン調査が行われています。
その代表例として、日清食品ホールディングスの取組みが挙げられます。同社はパーム油などの調達先に対して、人権リスクに関するチェックシート(SAQ)への回答を求め、実態把握と改善に取り組んでいます。さらに、是正勧告に従わない場合やリスクが高いと判断された場合には、「取引停止(契約解除)」も辞さない姿勢を明確にしています。
こうした潮流の中で対応が遅れれば、取引先からの受注停止や金融機関からの評価低下など、経営に重大な影響を及ぼす可能性があります。
つまり、人権デュー・デリジェンスは単なる「社会貢献」といった価値観の話にとどまらず、企業がこれからの競争社会を生き抜くための「事業存続の鍵」となっているのです。
では、具体的にどのような人権リスクに着目すべきでしょうか。
国際的には「児童労働」や「強制労働」が主要なテーマとして取り上げられていますが、日本企業が特に直視すべき典型的なリスクは次の3点に集約されます。
厚生労働省が発表した「令和6年度 個別労働紛争解決制度の施行状況」によると、「いじめ・嫌がらせ」に関する相談件数は54,987件(前年度比8.5%減)となり、13年連続で最多となっています。
中堅・中小企業の現場では、経営者や上司による「熱心な指導」や「愛のムチ」が、受け手にとっては深刻な精神的苦痛となっているケースも少なくありません。
また、育児休暇や介護休暇といった正当な権利を行使したことを理由に、周囲から嫌がらせを受ける事例も問題視されています。
社内に機能する相談窓口がなく、社員が声を上げられない状況を放置すれば、組織の生産性を低下させるだけでなく、企業ブランドの毀損にも直結しかねません。
日本経済が発展を続ける一方で、長らく解消されていない課題の1つが「男女格差」です。
明治以降の家父長制的な価値観や、高度経済成長期に定着した固定的役割分担意識が、現在も企業の意思決定層に影響を及ぼしているという歴史的・文化的背景があります。
世界経済フォーラムが公表した2025年版「ジェンダー・ギャップ指数」において、日本は148カ国中118位と評価され、G7(主要先進7カ国)の中では最下位となっています。これは、企業における女性活躍が依然として十分に進んでいない現状を示しています。
技能実習制度は1993年導入され、当初は日本の進んだ技術・技能・知識を開発途上国へ移転することを目的としていました。
しかし実態としては、中小企業における人手不足を補う手段として利用されてきた側面も否定できません。パスポートの預かりや不当な手数料徴収など、実習生の人権を軽視した事例は、国際基準では「現代の奴隷労働」と見なされるおそれもあります。
米国国務省の「人身取引報告書」においても、日本の技能実習制度は長年にわたり、強制労働の懸念があるとして指摘されてきました。こうした国際的な批判を受け、日本政府は2024年に技能実習制度の廃止(育成就労制度への移行)を決定しています。
国連が公表した「ビジネスと人権に関する指導原則」では、企業が人権への負の影響を防止・軽減・救済するための具体的な行動として、①人権に関する企業方針によるコミットメント、②人権デュー・デリジェンスの実施、③救済への取組(負の影響への対応)の3つが示されています。

中堅・中小企業では、法務やCSRの専門部署を持たないケースがほとんどです。多くの場合、総務部の担当者や経営計画部のメンバー、時には経営者自身が、本来の業務と兼任しながら対応しています。限られたリソースの中では、「少人数でも確実に成果につながるポイント」に絞って効率的に進めることが重要です。
ゼロから独自のチェックリストを作成する余裕がない場合、無理をする必要はありません。評価機関が提供するSAQ(自己評価アンケート)など、既存の信頼できるツールを活用することが有効です。
例えば、グローバルなサプライチェーン調査で広く利用されている「EcoVadis(エコバディス)」は、企業の規模・業種・操業地に応じて質問票が自動的にカスタマイズされる点が特徴で、実務上の参考になります。
法務省人権擁護局が公表している「ビジネスと人権」に関する報告書では、企業活動に関連する人権リスクの26類型が示されています。これらは、人権デュー・デリジェンスを実施する実務において、重要な指針として活用されています。
しかし、これらすべてに一度に対応するのは現実的ではありません。
まずは、前述した「ハラスメント」「男女格差」「外国人労働者の権利」など、自社にとってリスクが高く、かつ着手しやすい分野から始める「スモールスタート」を意識することが大切です。

中堅・中小企業の強みは、意思決定のスピードにあります。
人権対応のような新しい課題こそ、経営トップが主体的に関与し、トップダウンで方針を示すことが成功の鍵となります。
経営者自らが方向性を示すことで、全社の意識が高まり、実務担当者の心理的・実務的負担の軽減にもつながります。
「取引先に求められたから仕方なく対応する」という姿勢では、かかる工数が単なるコストと捉えられがちです。
しかし、「働きやすい環境を整備して、優秀な人材に選ばれる会社になる」という視点に立てば、それは有効な投資となります。人権対応を「採用ブランディング」の一環と捉え直すことで、社内外の評価向上にもつながります。
人権デュー・デリジェンスは、一過性の取り組みではありません。焦る必要はなく、自社の状況や体制に応じて、着実に進めていくことが重要です。
それは「自社で働く社員や、取引先にいる人々を大切にする」という、企業活動の原点に立ち返る取り組みでもあります。社員が安心して働ける環境を整え、ハラスメントや差別のない組織を築くことは、結果として人材定着率の向上や企業の生産性の向上にも直結します。
不確実性の高い時代において、人権への配慮は最大のリスク管理であり、同時に持続的成長を支える最強の成長戦略と言えるでしょう。
1.厚生労働省 「令和6年度 個別労働紛争解決制度の施行状況」
2.日清食品ホールディングス 持続可能な調達
3.World Economic Forum 「Global Gender Gap Report 2025」
4.US Department of State 「2025 Trafficking in Persons Report」
5.国連広報センター ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために
6.法務省人権擁護局「今企業に求められる『ビジネスと人権』への対応」
7.経済協力開発機構(OECD) 「責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス」

